家を建てようと考えていた時に、志水さんが勤めていた広東商店という工務店の現場をみせてもらい、 そこの仕事がすばらしく、いい現場だったのでそこに任せようと決めました。
その工務店の営業だった志水さんと、間取りまで打ち合わせをしていた時に、志水さんが独立するということを 聞きどうしようかと思っていたら、主人の「独立する志水さんに花を持たせてあげよう!」の一言で志水さんに 我が家を託すことに決めました。
家を建てるにあたり私がお願いしたことは、「雨の漏らないような家」でした。 それに対し志水さんは「この分譲地の中で一番いい家を建てさせていただきます。」という答えでした。
その言葉の通り、現場では基礎があまりに丁寧ですごいと近所の中で評判になり、又出来上がっていく家があまりに立派なので、どんなすごいお金持ちの人が住むのだろうと噂されていたそうです。
そして、仕事にたずさわった職人さん達みなさんが丁寧に仕事をする人ばかりで、しかも職人さん達が「志水さんの仕事だから一生懸命やるんです。」と言っていた事が忘れられません。
昭和53年暮完成。54年入居する時、息子が1階から2階まですみずみまで見て、「すごい家だね~!」と言ったのが印象的でした。 完成の時は何事にも例えようがない慶びでしたが、25年たった今でもあの時のすばらしい家を手に入れることができたという感動した気持ちのまま住んでいます。
新築の時から現在までの年月を共に過ごした家族の歴史がしみ込んでいるこの家のことを思う時、 いつも感じることは「住まいは人を幸せにするし、不幸にもする」ということです。
一生の一番大きな買い物は家ですし、家はその人のステータスです、死ぬ時には、病院ではなくこの家から出て行きたいと思っています。